“色”という言葉に含まれるストーリー

見た目の色だけでなく、効能にも優れた“藍”

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私が思う、今の「日本の色」 vol.009

坂口昌章

ファッションビジネスコンサルタント

坂口昌章

ファッションビジネスコンサルタント

アパレルをはじめ、繊維に関するビジネスに長年かかわってこられた坂口昌章さん。安価で手軽な繊維や染料が日常に溢れる現代で、あえてその流れから逆行する、もしくは原点ともいうべき“藍”のブランド化に取り組まれています。藍がもつ魅力は色だけではなく、私たち人間に必要不可欠な要素でもあるようです。日本の文化、ファッションにおいて、今どんな視点が必要とされているのか、色を入り口に坂口さんが語ってくださいました。

布にかかわって40年以上、だから気づいたこと

多岐にわたるビジネスをされていますが、経歴を教えてください。

 これまで、布に関するすべてのことをやってきたという感じですね(笑)。アパレルはもちろんですが、きもの、インテリアまで繊維製品にずっと触れてきました。経歴をお話しますと、最初はアパレル企業に入社し、婦人服の商品企画のマーチャンダイザー(MD)をやりました。その後、百貨店の平場の活性化、自主MDプロジェクトに携わりました。30歳の時にフリーになって、最初の契約が三越の婦人服のコーディネーターでした。日本橋本店のリニューアル、NYやパリのデザイナーとの取り組みも経験しました。その後、バブルが崩壊して、原点であるモノづくりに戻ろう思い、繊維産地を回るようになったんです。絹織物産地の桐生、毛織物産地の尾州(愛知県と岐阜県)、綿織物産地の浜松、大阪南部、西脇など。そこで産地の方々と密接にかかわるようになり、「ジャパン・クリエイション」という全国の繊維の生産地が一堂に会する、当時世界最大のテキスタイル見本市の立ち上げに参画しました。

 当初は海外からの出展も考えていましたが、繊維製品の輸入が増えた結果、国内中心の展示会になってしまいました。その後、繊維製品の生産拠点が中国に移り、日本国内の繊維関連の補助金もなくなりました。私も中国との関わりが増え、東レ経営研究所客員研究員として中国ビジネス研究会を主宰したり、中国アパレル企業への技術指導を行ったりと、日本国内と中国をつなぐ仕事を経験しました。その後、チャイナプラス1で、ASEAN諸国が注目され、タイやインドにも行きました。

坂口さんが現在注目している“藍”について教えてください。

 人類が最初に着た服は何だと思いますか?
一般には、エジプトの麻(リネン)とされています。そのほかには、シュメール人(紀元前3000年頃のメソポタミア南部の都市国家を形成した民族)がウールを着ていました。もう一つが古代中国のシルクです。この3つに共通しているのは抗菌作用があることです。麻はジュート(黄麻)がコーヒー袋に使われるように防虫や抗菌作用があります。これは、リネンもラミーも同じです。ウールは羊の体を守っていて抗菌作用があり、オイルの防水効果もある。シルクは蛾の繭から作られますが、繭そのものが外敵から蛹を守るシェルターで、抗菌作用や紫外線防止の機能も持っています。

 服の起源にはいろいろな説がありますが、私は感染症予防だと考えています。最も菌が侵入しやすい排泄器官を抗菌作用を持ってる布で覆ったのがスタートだった。しかし、綿には抗菌作用が無いんです。洗剤が無い時代には汗臭くなったり、皮膚病になったり。しかし、綿は藍と出会うことで全く新しい繊維になりました。強度が上がり、抗菌作用を獲得し、紫外線防止、防虫や防蛇などを併せ持つスーパー繊維になりました。そして、綿も藍も爆発的に生産量が増えました。
藍染の魅力は、その効能にあると思っています。今は薬事法で効能を訴求すのが難しくなりましたが、藍染で、30回も糸を浸しては絞る作業を繰り返すのは、糸に藍の成分を入れられるだけ入れるということなんです。

 草木染の原料は漢方薬の原料と重なっています。藍も紅花、茜、紫紺もすべてそうです。草木染の始まりは、漢方薬を濾した布に色がついているのをみて、それを染料に使ったことだと言われていますから。これらは植物原料だから排水処理もいりません。今の合成染料は毒性のあるものが多いので、排水処理も大変です。

“藍”と出会った契機は何ですか?

 藍染に出会ったのは、30年前くらいかな。日本全国の産地を回っている時に、縫製産地だった埼玉県羽生市の組合で講演して、そこで現在野川染織工業社長の野川雅敏さんと初めてお会いしました。
羽生はもともと藍と綿花の栽培が盛んでした。藍や綿は肥料食いと言われるほど、肥沃な土地でないと育ちません。つまり、氾濫を起こす暴れ川の流域です。羽生市がある利根川流域、吉野川流域には徳島があって、筑後川流域には久留米がある。日本三大暴れ川流域に藍の産地があるのです。

 江戸時代後期頃、藍染は武州(埼玉県の北部の羽生、加須、行田)の一大産業でした。江戸時代は8割が農民だったといわれていますから、日本人の8割が藍染の野良着(藍染の農業服)を着ていました。そのほかにも、職人や商人も作業着は藍染でしたから、日本中真っ青だったというわけです(笑)。

 ヨーロッパの藍はアブラナ科のウォードで、やはり大きな産業でしたが、、インドからインディゴが入ってきて、30倍速く染まるということで、ほとんどがインディゴになり、ウォードは壊滅してしまったんです。日本も同様で伝統的なタデ藍からインディゴへと転換しました、近年ではインディゴと言っても合成インディゴです。色素だけを合成して化学染料として使われるようになったもので、染色する過程で毒性のある化学物質を多く使います。色を付けるだけで、タデ藍のような効能はありません。先ほどご紹介した、羽生の野川染織工業は、現在も天然発酵建て藍染を守っています。徳島の藍師がタデ藍栽培からスクモ作りまでを行い、羽生の紺屋がスクモかや藍を建てて、染色し、社内のシャトル織機で織り上げ、社内で剣道着を裁断、縫製しています。伝統を守りながら、一貫生産を維持するのは、すごいことですよね。


はるか昔から日本人が大切にしてきた色

坂口さんが考える「今の日本の色」は“藍”でしょうか?

 藍にまつわる色は、伝統色にも10以上あります。浅葱(あさぎ)納戸、褐色(かついろ)、瓶覗(かめのぞき)など。藍にはもちろん色としての魅力もありますが、藍がもつ文化や藍のある生活に着目しています。洗剤を使わなければ、水も汚れません。藍を使うことで、化学物質を使わない生活を考える。食だけでなく、衣でもね。天然由来で、効能もあって、染め替えもできる。SDGsやサステナブルなライフスタイルが必要な今、藍はそれにフィットしている。そこに立ち返ることで、現代の生活を見直すことができるのではないかと思っています。

 西洋の考え方では、色は色、形は形、というように分析的に細分化して考えます。日本人は色という言葉の中に「色即是空」的な思想を持っていて、色という言葉に形あるものという意味を持たせています。形あるものを認識するときに視覚が優先するので、色はカラーだけの意味になりましたが、本来、色という言葉には形とか素材感も含まれていました。例えば、香りを嗅ぐではなく、香りを“聞く”と表現する。目に見えないものを感じるのを聞くといった。音も“聞く”ですよね。形あるものは“見る”って言ったんじゃないかな。日本の文化には、一つの言葉で全体を、五感で感じる感性があったと思うんです。だから、色を表層的なことだけで見るのではなく、五感で色を感じる。藍の服を着て、身体を包んだときに感じる効能、気持ちの良さ。それを身体全体でどう感じるか、が日本の文化に通じるのだと思います。

今後どのように“藍”をフォーカスしていくのでしょうか。

 1914年に野川喜之助が「喜之助紺屋」を創業し、スタートした野川染織工業。2014年の100周年の際に屋号であった「喜之助紺屋」を復活させて新しいブランドを立ち上げました。現在は、剣道着や袴を作っていますが、「喜之助紺屋」は、これらの歴史や技術を使って、現代人のライフスタイルに寄り添える藍染製品をプロデュースしています。

 でも、たくさんの人に着てもらうには、藍についてのストーリーを丁寧に説明しないとわかってもらえないんです。ただの色や形、トレンドではなく、自然にも身体にも優しいということを伝えていきたいですね。

                                           取材会場協力:Sumire Studio

坂口さんにとっての日本の色

見た目の色だけでなく、効能にも優れた“藍”

NOCS 品番 : 10B−6−e1(左)
NOCS 品番 : 2.5PB−6−9(左から2番目)

Profile Masaaki Sakaguchi

ファッションビジネスコンサルタント。
文化服装学院ファッションデザイン専攻科卒業後、株式会社ニコル、株式会社スクープなどで企画MD、ブランド開発等を経て、1988年に独立。1990年、有限会社シナジープランニングを設立、代表取締役に就任。三越商品本部婦人服コーディネーター、東武百貨店本店のリニューアルプロジェクトへの参画、丸井の新ブランド開発等に関わる。その後、桐生、尾州、浜松、泉州、北陸、新潟等の繊維産地の企画指導、展示会プロデュースを経て、繊維総合見本市「ジャパン・クリエーション」の設立に携わり、2006年まで総合コーディネーターを務める。現在は、「アジア」と「ブランディング」をキーワードに、ファッションビジネスの幅広い分野でビジネスマッチング、コンサルティング、人材育成に携わる。

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玉川幸枝さんが制作したタイル

タイルプロデューサー

玉川幸枝

焼き物のまち、岐阜県瑞浪市でタイル専用の釉薬会社を営む家に生まれ育った、玉川幸枝さん。明るく社交的な玉川さんが、さまざまな経験をして行き着いたのが、どんな色も生み出す釉薬職人である父の技術を、表情豊かなオーダーメイドタイルとして広めることでした。使う人の思いやストーリーがこもった色は、どのようにして生み出され、タイルに落とし込まれるのでしょう。タイルを通して見えてくる色の魅力を語っていただきました。

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