ものづくりの精神の基本

酒蔵の背骨としての、柿渋色

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私が思う、今の「日本の色」 vol.19

山本典正

平和酒造株式会社 代表取締役社長

山本典正

平和酒造株式会社 代表取締役社長

家業を継ぐべく、日本の伝統産業である日本酒業界に飛び込んだ、和歌山県海南市にある平和酒造の4代目当主の山本典正さん。会社の改革とともに、高付加価値な新商品を続々と開発する山本さんが考える、今の日本の色とは?

モノづくりの場所を整える

お酒は色で見る、とも言いますが、今の日本の色で思い浮かんだ色はなんでしょうか?

 このインタビューの依頼をいただいて考えていたのですが、我が社の酒造りでいうと「柿渋色」ですね。ほかにも、水やの色からイメージする紺色や、日本の未来を思い浮かべて虹の色かなとも思いましたが、やはり柿渋かなと。

なぜ柿渋色を選ばれたのですか?

 柿渋には殺菌や防虫、防カビの効果があるので、うちの木材でできている酒蔵の柱や天井に塗るために使っているのですが、これは酒造りには欠かせない作業なんです。夏の酒造りのない5~9月の間に柿渋を塗り重ね、初期は薄い茶色にもならないような色だったのが、年2回、3回と重ねて、そして5年、10年経った今は黒に近づいています。柿渋を塗布するのは16年前に私が家業を継いだ時に導入したのですが、とても大事な作業だと考えていて、この色が私たちにとって大切な色だと思ったからですね。

日本酒の酒蔵はだいたい行っているのでしょうか?

 酒蔵には木造もあれば鉄筋コンクリートのところもあるので、木造であるうちの酒蔵だからやれることではあります。増築の際にもあえて木造にするようにして、柿渋を塗る作業を継承しています。 


高付加価値の商品づくりに挑む

柿渋を導入したきっかけは何だったのでしょうか?

 16年前に自分が実家に戻った当時は紙パックの低価格帯の酒をメインに生産していて、安いコストで仕入れて、手間暇かけずにある程度の品質のものを作ることが重要とされていました。建物である蔵もカビ菌であふれていて、うちの酒を飲んだ時に、カビのようなにおいが日本酒の本来のみずみずしさや華やかさといった香りを邪魔していたんです。やはりここから変えていかなくてはいけないと思い、蔵中のカビをふき取り、ふき取るだけでなく、カビが発生しないようにするためにどうしたらいいかを考え、一部の先輩が行っていた柿渋を使うことを見様見真似で始めました。

 ちなみに日本酒業界は、農家の方が冬の仕事として従事されて歴史が長く、その影響で年配の方が多いのですが、人材系のスタートアップ企業にいた経験を活かし、私が実家に戻ってからは大卒新卒の方を採用してきました。そのほかクラフトビールの開発や海外への輸出、SNSでの発信を積極的に取り入れるなど、伝統産業でありながら新しい取り組みを行っていて、その会社があえて古典的なこの作業を取り入れているのも意味があるのではないかと思っています。 

酒造りの環境維持ももちろんですが、杜氏や蔵人にとって、この作業はどんな意味を持つのでしょうか?

 柿渋自体ではかなり薄い色しかつかないのですが、塗り重ねることで、濃い色になっていく。それは、うちの酒造りをしてくれる人のモノづくりの精神でもあると思っています。すぐに価値あるものができるわけではなく、酒蔵のすみやカビを落とし、そこに柿渋というモノづくりの精神を少しずつ塗りこんでいく、そうすることでモノづくりをする“場”である蔵も一緒にできあがっていくような感じです。

色の変化とともに酒蔵も成長していくという感じでしょうか。

 初期の木材の淡い色から重みのある色に、伝統感がでてきますよね。私は、モノづくりをする人にとって、働く場の美しさというのはとても大事だと思っていて、食品工場のようなクリーンなキレイさも重要ですが、ある種、神社の朝の神聖な空気、綺麗さを目指しているんです。酒造りは伝統産業であり、食品産業でもあり、付加価値の仕事なんですね。この付加価値の仕事という点が日本酒業界のひとつの本質だと思っています。それをきちんと酒蔵で表現していくことが、酒を造る人の背骨になっていくのではないかと考えているので、酒蔵という空間づくりを大切に思っています。

山本さんが考える日本酒の可能性とは。

 私は、モノづくりをする力と伝統産業の力は、日本という国自体の武器になるものだと思っています。日本酒は、日本や地域性を武器に使っていて、平和酒造で言えば和歌山ということと高野山の水を使って…というようなことを武器にしてきました。でも最近「紀土」の認知度があがりブランド力をもってくると、和歌山に行くと「紀土」が飲める、ではなく、「紀土」を飲むために和歌山に行く、日本に行く、という逆転の状況が生まれ始めています。うちの商品が武器に使ってもらえるようになってきているんです。今は新型コロナウィルスの影響で海外の方が日本に来ることが難しいですが、コロナが収束した際には可能性がたくさんあると思っています。

平和酒造のこれからを教えてください。

 コロナ禍の2020年6月に平和酒造のモノづくりやお酒の魅力を伝える場として、アンテナショップを「平和酒店」をオープンしました。お客様とダイレクトのコミュニケーションが取れる場を持てたことで、たくさんの気づきを得られていますね。まだまだコロナというトンネルの真っただ中にいる今ですが、そんな中でもチャレンジすることの大切さを実感しています。2018年には中田英寿さんと組んで「キットカット 梅酒 鶴梅」をつくったり、2019年には堀江貴文さんの声がけにより小型観測ロケットMOMO(モモ)の燃料に日本酒「紀土」を使うなどの挑戦もしました。

 コロナの影響を受け、さまざまなことが今まで通りには進まないこともありますが、未来を見据えて、モノづくりやこれまでにない取り組みをこれからもしたいなと思っております。

                                           掲載日:2021年1月12日(火)

山本さんにとっての日本の色

酒蔵の背骨としての、柿渋色

NOCS 品番 : 2.5YR 4-11
NOCS 品番 : 2.5YR 3-13

Profile Norimasa Yamamoto

1978年生まれ、和歌山県出身。
東京のベンチャー企業を経て、2004年に平和酒造株式会社へ入社。それまでの廉価な大量消費のためのお酒ではなく、日々の人生に豊かな彩りを添えられるお酒を届けたいとの想いから「紀土」「鶴梅」を立ち上げ。近年ではクラフトビール「平和クラフト」の発売も開始。和歌山の柔らかできれいな水を活かした「紀土」は、お酒が苦手という方にもお酒の魅力を知ってもらいたいという、強い願いを込めている。また、斜陽産業と言われる酒造業界において新風をふかせるべく、若い蔵人の育成にも力を注いでいる。酒造りへの情熱を胸に秘めた平均年齢31歳の若い醸造家達とともに、伝統と革新をもって酒造りを行う一方、日本酒の魅力を伝える活動を行う。2019年4月、代表取締役社長に就任。

このインタビュイーのご紹介者

タイルプロデューサー

玉川幸枝 様

岐阜県瑞浪市生まれ。家業のタイル用釉薬を製造する株式会社玉川釉薬に6年勤務。名古屋でのボランティア活動を経て、東京でまちづくり・ものづくりに関連した地域活性のプロジェクトマネジメントに携わる。瑞浪市では焼き物工場見学イベントなどを企画。2014年、合同会社プロトビを設立し、タイル・焼き物産地のPR事業を手がける。2017年、オーダーメイドタイル事業「TILE made(タイルメイド)」をスタートし、タイルの提案・企画・開発・製造・販売を行っている。

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ファッションコンサルタント、NY在住

市川暁子

1999年の年末にNYに移り住み、NYを拠点にファッションを軸にアートやデザインなどのプロジェクトを幅広く手がけているコンサルタントの市川暁子さん。世界中の人が集まりカルチャーが生まれる街・NYから考える、今の日本、そして今の日本の色とは?

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