アリゾナ大学人類学科博士課程(考古学専攻、物質科学工学副専攻)修了。人類学博士。アメリカ・カリフォルニアに拠点を置き、メキシコ、ニカラグア、コスタリカ、コロンビア、ペルーのラテンアメリカにてフィールドワークをし、特に中米のパナマで集中的に考古学研究を行う。2014年より、鹿児島など南九州でのプロジェクトもスタート。南九州との比較の目的で、モンゴルおよびロシアにおいても土器分析を行っている。米国地質学会クロードアルブリットンアウォード(地質考古学)受賞。
考古学者、カリフォルニア大学マーセド校人文社会学部プロジェクト研究員、首都大学東京客員研究員
アメリカ・カリフォルニア在住
考古学者、カリフォルニア大学マーセド校人文社会学部プロジェクト研究員、首都大学東京客員研究員
アメリカ・カリフォルニア在住
美術系の高校、大学を経て、アメリカの大学にて人類学を専攻。そこから考古学一筋で世界中を飛び回る飯塚文枝さん。
古代の人々が遺した土器から、当時の暮らしや社会や環境に思いを馳せ、そしてさまざまな発見を見出しています。私たち日本人は何を大切にし、どのように生きてきたのか、そしてこれから生きていくべきなのか、その答えのヒントは過去の人が遺してくれたモノにあるようです。
20年近く、主にパナマ共和国を中心ににラテンアメリカをフィールドに人類学における考古学に携わっています。テーマは土器の起源で、行動考古学や環境考古学の枠組みを使い、先土器時代からの土器の発生と人間の行動の変化についての研究です。元々幼少期から古代美術が好きで考古学に進んだのですが、出土した土器の破片がどんな原材料か、制作の過程と、つけられた色はどんな原料を使っているのか、制作者がいて、流通があり、そして廃棄され、廃棄した場所や環境で物質が変わっていく。作り手がどういう目的で作り、誰が使い、誰がいくらで売るのか(流通させるのか)といった一連の行動を土器をもとに研究・解明しています。また、4年前からは鹿児島でのフィールドワークも始めたので、日本における行動考古学研究も現在進行しているところです。
変化に強い遺物や遺構、変化に弱い遺物や遺構がありますが、強くて変化しないのは、宗教施設や儀式に使われるモノや場所で、時代を経てもそこだけ継承していたりするんですよね。このことは色に関しても共通して言えると思います。さらに、最近は鹿児島をフィールドワークしていることもあり、日本には昔から伝わる色で残していかなければならない色があるはずだと思い調べてみたんです。自分の専門分野である行動考古学の理論を元に考えてみました。
おそらく日本は自然環境が多様で民族グループや文化も、アイヌ、本州、琉球など、ひとくくりにできないと思うんです。それとその時代で色の趣向が変わったり、色が輸入されたり、色の変化は多様であって、体系的に調べていく必要があります。さらにこの30年くらいの間に開発、生まれた色があると思うので、なぜどのように開発され、それらは好まれたのか、または開発が止まったかなどを理解することも同様に行わなければならないということに至りました。
土器でも色でも地域的な多様性が必ずあります。日本列島は亜熱帯から亜寒帯までが存在している国で、植生も生息する動物も地域によってまったく違います。となると、気候的な違いで生まれる色にも違いがあるということ。琉球の石灰質の原材料で作られたた陶器と、他の地域の火山岩系の原材料で作られた陶器は色も体感も変わり、おのずと地域に根付いた色、陶磁器があるんですね。伝統色の多くはおそらく京都の公家文化から派生した色。紅、緋色、白、紫苑だとか山吹、梔子。それと武家や町人文化から生まれた江戸の色。四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねず)という禁色から生まれた48色の茶色と100色の鼠色なんてものがありますからね。けれど、この日本列島には、本当はアイヌの色や琉球の色だって存在しているんです。ただ、歴史的に見ると常に京都(や古都、奈良)と江戸の色に偏り、もしくは、そこを通ることで色名が変化してしまったのではないかということが言えます。京都と江戸の色しか残っていないようなものですよね。鹿児島にいくと価値のある物に「黒」がつく言葉が多いことから、この地域にはもしかしたら黒のバリエーションや黒への独特の価値観があったかもしれないというように、それぞれの地域で使われてきた、重んじられていた色が必ずあるはずなんですが。
鹿児島に赴くようになり、種子島でも仕事をし、日本は大都市に富と知識などいろんなものが集中しすぎている。東京、大阪、京都のような都市にすべてが集中していて、地域の大切なものを失ってしなうのではないかという危険性を感じますね。これは色の歴史を見ても言えることです。
「古代からある「赤、黒、白、金」は絶対に大事にしたほうがいい。縄文からある色はなおさら絶対に遺すべきです。まずは、赤。いろんな地域で赤鉄鉱の顔料の付着した土器がみられます。アイヌにとっても弁柄色として重宝されていた色です。もう一つ、黒漆などの黒色です。ただ単に黒といっても実は幅がありますが。そして、白。縄文時代から装飾品に白が使われたり、その後の時代も神事で白を大事にしていて、これは現在にも受け継がれていますよね。そして日本のシンボルカラーとして、外せないのが金。古墳時代の墓から金糸が発見されたり、陸奥の国は700年代から砂金がとれていて、奥州藤原氏の時代には、中尊寺金色堂も建立されていたりします。マルコポーロが日本を”黄金の国ジパング”と記しているのは史実と違うというわけではないでしょう。いまは金を目にすることは多くないですが、昔はハイステータスな人々や場所に使われていたのではないでしょうか。14世紀末には金閣(鹿苑寺)が作られ、戦国時代に金山の発掘がさかんにおこなわれていた、それが江戸時代まで続く。前に化学者の方に「日本と金の歴史」について授業で発表していただいたことがありますが、その方によると、かつて日本は世界的に見て、多く金を産出していたんですよね。鹿児島県北部に菱刈鉱山(鹿児島北部)があって、現在も最高水準の金鉱石のとれる場所で、アクティブな採鉱作業が行われているんですよ。これも専門の方に聞くと正確な背景が分かると思いますが、金の国であるということには諸説あって輸出していた銅鉱石から金を抽出する方法を外国の人は先に知っていて、日本人は知らずに輸出を続けていたとか。だからもしかしたら黄金のジパングなんて呼ばれていたのも日本人は知らなかったかもしれないですね(笑)」
顔料の専門の先生に日本の色についてインタビューしてみたら、「日本は色+様々なテクスチャー」であると言ったんです。それは新しい視点ですよね。米国だと「シャイニーorマットしかない」、すごくフラットなんですよね。美術でも工芸でもそうですが、色にテクスチャーが確かに存在している。縄文晩期の青森の土器でも、ツボに磨きがかかり、さらに沈線が入り、その上に極細の縄文からなる凸凹が作られていて、凹んだところに朱を刷り込んである。そういう技術がすでに何千年も前にあった。信楽焼も薩摩切子もそうです。そして地域で製法が違うんですよね。その地域の人々の生活から生まれた色と技術で、それら地域で趣向をちゃんと持っていたということでもあると思います。
今の日本のいろから日本の未来の色についても考えていくと良いと思いますが、今の日本の色がもっとも豊かであるということを認識することです。なぜなら、今は歴史をみることもできる、考古学をみることも、物質をみることも、化学技術をみることもできる、そういう段階で、とっても贅沢な時期なんですよね。その多様性を理解して新しい色を開発できるかということがポイントだと思います。近年で言うと、日本の観光化はとても重要な出来事ですよね。観光客によって日本の色が開発されているんじゃないかなと思うんですよね。もしくは逆に売ろうと思って色が作られているのかもしれません。
2020年に向けて様々な変化が押し寄せていますが、歴史は必ず大事にしなければならない、旧石器から続き変化をしてきた多様な場があって、民族グループや地域が使ってきた色や技術がそこにある。それを大事にした上で、これから100年、200年後にも遺る色を、そして未来を考えていきたいですね。
「古代から受け継がれる赤、黒、白、金」
NOCS 品番 | : N2(左) |
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NOCS 品番 | : 6.25R−7−7.0(左から2番目) |
パントン | : 975C(左から3番目) |
NOCS 品番 | : N9(左から4番目) |
アリゾナ大学人類学科博士課程(考古学専攻、物質科学工学副専攻)修了。人類学博士。アメリカ・カリフォルニアに拠点を置き、メキシコ、ニカラグア、コスタリカ、コロンビア、ペルーのラテンアメリカにてフィールドワークをし、特に中米のパナマで集中的に考古学研究を行う。2014年より、鹿児島など南九州でのプロジェクトもスタート。南九州との比較の目的で、モンゴルおよびロシアにおいても土器分析を行っている。米国地質学会クロードアルブリットンアウォード(地質考古学)受賞。
日本舞踊家であり、映画や演劇、テレビドラマの所作指導などを行い、伝統芸能を後世に繋げる藤間貴雅さん。伝統に縛られることなく、2013年からはハワイを皮切りに海外公演を積極的に開催し、日本文化の振興に貢献しています。日本の伝統文化に世界中の注目が集まる昨今、伝統と革新の中で次の時代を模索する藤間さんが考える、今の「日本の色」とは。