刺激される2つのインスピレーション

「“耳を澄ます”と聞こえてくる、見えてくる自分のいろ」

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私が思う、今の「日本の色」 vol.005

中川果林

二十五絃筝者、シンガーソングライター
ドイツ在住

中川果林

二十五絃筝者、シンガーソングライター
ドイツ在住

二十五本の絃で音色を奏でる、二十五絃筝を巧みに操る中川果林さん。音楽一家に育ったものの、音楽がどうしても好きになれなかった彼女が出会い、自分の表現媒体として選んだのがお琴、そして唄でした。古典的なイメージをもつこの楽器を片手に世界に飛び出し、たくさんの人と交流を重ねて見えてきた”自分”とルーツである”日本”。彼女が音楽を通して、日本のいろについて語ってくれました。

お琴と出会い、そして海外へと羽ばたく

二十五絃筝との出会いを教えてください。

 父がフルート奏者、母がピアニストという音楽一家で、音楽をやらなければいけないという環境に育ちました。でも、どうしても音楽を楽しめなくて14歳の頃に両親に意を決して「やめさせてください」と伝えたんです。その時に両親が、自分たちがとても尊敬している友人である25絃筝者の野坂惠子先生(限・野坂操壽先生)のところに連れていってくれて、お琴を始めることになったんです。ちょうどこの時、野坂先生が二十五絃筝をつくったばかり、というタイミングで先生と巡り合うことができたんです。

どのような経緯で海外にいかれたのでしょうか。

 大学受験で進路を考えたときに「自分に何ができるのか」ということを考えたら、やっぱり私には音楽しかなくて(笑)、お琴をちゃんとやろうと決めました。そこからは基礎を身につけるために本格的に勉強をして、ラッキーなことに東京藝術大学に合格するこができ、大学での4年間は古典の十三絃と地唄三弦を学びました。卒業の頃、熊本の天草と行き来をしていて「オラショ」(キリシタンたちが口承で伝えた祈りの唄)に触れ、”言葉は口から出すと魂が生まれる、それにメロディーをつけると音楽になる、すごく強いものになる”そんな話を聞いて、「私は唄っていきたい!」と思ったのと、お琴は古典的な楽器だけど、じつはいろんな可能性を秘めていて、この楽器と唄で自分にしかできないことがあるはずだって思ったんですね。
 その後日本で活動をしていたのですが、2009年の年明けにスケジュールを見たら真っ白で(笑)、これはチャンスだ!と思い、お琴を担いでヨーロッパに旅立ちました。とにかくストリートで演奏をして、その国の人たちに自分の演奏を聴いてもらったんです。それを続けるうちに、人から人へと繋がり、公演のオファーが入るようになり、今はドイツに住んでいますが、最近はスウェーデンでの活動が多いので、行ったり来たりしながらですね。


自分に息づく、日本人というルーツ

ヨーロッパに渡り10年、中川果林さんにとって日本人であることとは。

 ヨーロッパのかなりの地域にいきましたが、ルーツが断ち切られているところが多いんです。昔の人が見ていたはずの色だとか風景が戦争や災害、様々な理由でなくなってるんですよね。島国である日本はなんだかんだ言っても残っている。昔ながらの自然崇拝や信仰、そして農耕民族でもある日本人の意識もやっぱり、腹の底に息づいてる、根付いていると思うんです。そういう背景をもっている日本人は本当は自然やいろいろなことに”耳を澄ます”ことが得意な民族なんじゃないかな。私は、茨城県の牛久で田園風景の中で育ったのですが、あの稲穂が風に揺れる色だったり、その稲穂をを育てる御泥の中を歩く、重たく暖かく地に足がぬめりこむリズムだったりそういうのが私のベースにあると思っています。だからハープでもなく、ピアノでもなく、私は箏が性に合ったのかもしれないです。

いまの日本をどのように感じますか?

 耳を澄まして生きてきた日本人だけど、いまはそんな時間がもてないくらい忙しい人が多いですよね。日本の美意識のなかには、間(ま)といった余白の美があるはずなのに、いろんなことに追われすぎてそこを埋めようとしたり、自分について考えられなくなったり。私も日本にいるときは自分のことが大嫌いだったんですけど、海外でいろんな人の生き方や価値観に触れることで、視野が広くなって自分のことを好きになることができたんです。自分を肯定することは簡単そうだけど私たち日本人にとっては難しい。まずは一人一人が、「自分は何をもっているの?何ができるの?やりたいの?」と、自分と対峙できる時間や空間がもてたらいいなと思いますね。すると、見える色や聞こえる音が格段に増えてくると思うんです。


自分の記憶を通してみる色

あなたにとって「いまの日本の色」とは?

 伊勢神宮の屋根に生えている草に木漏れ日が差した、緑なんだけど黄色のような、優しい懐かしいあの色ですね。すぐにその情景を思い出しました。でもこれには、やっぱり幼少期に見ていた田園風景が影響しているんでしょうね。牛久の田んぼで泥んこになって遊んでいましたし、学生時代はアルバイトでコンバインで稲刈りもしてましたので(笑)。稲穂が緑から黄色になったときのような、しなやかで凛としたイメージです。

 
「土と草」 金子みすず
母さん知らぬ
草の子を、
なん千萬の
草の子を、
土はひとりで
育てます。

草があおあお
茂ったら、
土はかくれて
しまうのに。

 この詩が大好きで、土とか泥を自分の足で踏んだ感覚は私にしっかり残ってるんですよね。私をつくっていると言ってもいいかもしれません。自分自身の身体が土のようなもので、その土台があって新芽が出たり、草や幹が育っていったり、そこから広がる風景が好きなんでしょうね。現代の子どもたちにもぜひ体験してほしいですね。

 今の日本を色で表すともう一つあって、蛍光の黄色です。これは触れない、情景を作れない、早くて分かりやすくて、全部が無機質で機械的というかマテリアルとしての色。何も寄せ付けないパワーで、都市というか東京のイメージかもしれません。今夏帰国して改めて感じましたが、やっぱり日本(東京)は情報量が多すぎて、すごく刺激が多い場所。自分で自分に気をつけてあげないと疲れていることにさえも気付けないような。

「自然のなかで生まれて死んでいく色」と「いつ生まれて死んだかもわからない色」そんな対極な2色ですね。自分のなかにある昔ながらの自然の情景と、都会を象徴する色というのが共存していますね。

中川果林さんのこれからの活動について教えてください。

 今夏、久しぶりに日本に帰ってきて、ミンミンゼミやアブラゼミ、ツクツクボウシとかヒグラシが鳴いているのを聞くととても懐かしい気持ちになれて、心のチャージを存分にできました。私は箏や唄を通して、いろんな人にあって、いろんな考え方をみて、たくさん学ばせてもらっています。パートナーでライフ・アーティストのマンフレッド・ベルナルドからもたくさん刺激を受けています。今はスウェーデンでのライブや最近立ち上げた切り絵の影絵を使う「子どもシアター」のプロジェクトに向けて準備をしています。日本にもたくさん子どもがいるので、いつか日本でも公演したいです。 
 私はかなりゆっくりさんなので時間がかかっちゃうんですけど、枠にとらわれずに、箏はもちろん私の身体と声をつかってこれからも自由に表現していきたいです。

中川さんにとっての日本の色

「“耳を澄ます”と聞こえてくる、見えてくる自分のいろ」

NOCS 品番 : 7.5Y−6−1.0(左)
NOCS 品番 : 10Y−6−1.0(左から2番目)
カッティングシート : 931K(左から3番目)

Profile Karin Nakagawa

二十五絃箏を野坂惠子(現・野坂操壽)氏に、箏と地歌三絃を深海さとみ氏に師事。東京藝術大学邦楽科生田流箏曲専攻。卒業後、二十五絃箏弾き語りを始める一方、劇団TPT公演などの音楽劇の作曲と演奏等音楽及び指導を担当。2014年よりドイツに拠点を移し、ソロ活動他 即興的な柔軟さを活かし 様々なジャンルのアーティストと共演しながら箏の可能性、新しい表現を追求する。現在、日・独・伊・瑞を中心にヨーロッパの様々な音楽祭出演。 国際交流基金による22カ国以上海外公演を行う。09年ベストデビュタント賞・音楽部門受賞。ポルノグラフィティの初東京ドームライブ ゲスト出演。15年CD “LYÖSTRAINI – Trees-of-Light (光の木)” リリース。16年同CD でスウェーデングラミーフォークミュージック部門 ”Grammis : ÅRETS FOLKMUSIK/ VISA” 受賞。18年 Polar Preis 授賞式にて演奏。国内外で活躍中。

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これまでロンドンを拠点に世界70カ国以上を演奏旅行されてきたピアニストの平井元喜さん。アジア、アフリカ、中東、北米・中南米、ヨーロッパなどさまざまな国や地域を訪れ、その多様な風土や文化に触れたからこそ見えてくる、日本人ならではの美意識と日本を表す色。物質的には豊かだが、時間に追われ何かと忙しい現代社会において薄れつつあるこの美意識について語ってくださいました。

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