日本の光で培われた

「自然のグラデーション」

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私が思う、今の「日本の色」 vol.006

平井元喜

ピアニスト、作曲家
ロンドン在住

平井元喜

ピアニスト、作曲家
ロンドン在住

これまでロンドンを拠点に世界70カ国以上を演奏旅行されてきたピアニストの平井元喜さん。アジア、アフリカ、中東、北米・中南米、ヨーロッパなどさまざまな国や地域を訪れ、その多様な風土や文化に触れたからこそ見えてくる、日本人ならではの美意識と日本を表す色。物質的には豊かだが、時間に追われ何かと忙しい現代社会において薄れつつあるこの美意識について語ってくださいました。

個を確立し、世界に目を向けること

さまざまな地域で演奏をされていますが、いまの日本をどのように感じますか。

 旅は好きなので訪れた国は80を超えますが、国の数はあまり重要ではないように思います。日本ひとつとっても47都道府県もあって、豪雪地帯もあればトロピカルな南の島もある。各地域に多様な食文化や方言があって風習も異なる。例えば、アフリカと一括りに言いますが54もの国があって、タンザニア1国だけで130もの民族がいます。また、イスラエルというと砂漠気候のイメージですが、雪が降る地域だってあるからです。

 現代の日本に関していうと、急速なグローバル化の中で失われつつある地域固有の伝統文化や食文化を見直していることは、本当に素晴らしいことだと思います。一方で、日本の皆さんの海外への関心の低さは少々気になりますね。交通手段が格段に進化したにもかかわらずテレビやインターネット、スマートフォンなどで疑似体験ができてしまうため情報過多、頭でっかちになってしまって、世界へ飛び出す「行動力」「冒険心」「好奇心」が薄れているように思います。実際に自分の脚を使って出かけ、五感をフル活用して「体験」し、「心で感じる」大切さを忘れている気がします。

 国内や近隣諸国の情勢も重要ですが、紛争地域などで命がけの取材をしているジャーナリストたちの情報が日本国内ではなかなか報道されないのも残念なことです。また、現代の日本には閉塞感も感じます。内向きになることは引きこもりと一緒でさらなる閉塞感を生むので、自分自身を見つめ、好きなことや得意なことに磨きをかける一方で、バランスよく外へも関心を持つことは大切だと思いますね。

 ところで、先ほど「海外」と言いましたが、本当いうとこの言葉にもちょっぴり違和感があります。自分のアイデンティティは日本人ですが、23年以上もヨーロッパで暮らしながら世界各地を旅していると国内とか海外といった感覚はあまりなく、自分では「地球人」という感覚の方が強いです(笑) 頭がおかしいと思われそうですが「宇宙人=エイリアン」ではなく、人間は自然の一部であり宇宙の一部ですから、「自分も宇宙人」という感覚がどこかにあります。
 少々脱線しましたが、英国は島国なので日本人とメンタリティーが似ているところも多くあります。でも、地理的にはヨーロッパの大半は1〜3時間で行けちゃうので、欧州内の移動は日本でいうところの国内感覚です。一方で、ロンドンはマルチカルチュラルな多民族都市で、一つの小学校だけで家庭内も含めると160もの言語が使われていたりします。だから、単一民族である日本人の感覚で異文化を語るとおかしなことになっちゃう。(笑)自分でも気をつけるようにしています。

海外にいるからこそ気づいた日本の良さなどありますか。

 2007年にデンマークで始めたのをきっかけに、音楽と朗読のコラボレーション「音楽と民話で世界をつなぐ」という文化交流プロジェクトを続けています。その中で、日本や世界各地の民話・神話・童話・詩といった物語や文学を音楽とともに紹介していますが、民話には各国・地域のカラーが色濃く反映されていて、とても面白いんです。地域固有の自然環境や風土に基づく人々の暮らしや考え方、道徳観といった「民族の心」が映し出されているからです。

 日本の和歌や俳句にも日本ならではの四季の移ろいや自然が歌われていて、「侘び寂び」や「幽玄」の世界を感じることができます。華美を嫌い、簡略をよしとする絵画や音楽・芸能の「余白」や「間」に通じる美学なのでしょうけど、削ぎ落とすことで却って我々のイマジネーションや余情は無限に広がります。そして、静かで神秘的で深淵なる情趣や感動を呼び興すことができるのです。
 こうした文化は本当に素晴らしいと思いますし、海外に暮らし、世界各地を旅する中で多様な文化に触れたからこそ見えてきたことです。

海外生活が長い平井さんにとって「日本」の魅力とは。

 ひと、食、自然、文化、音楽、美術、建築、サブカルチャー・・日本の魅力を語ればキリがないです。(笑)

 「色」という観点で話をさせていただくと、中学生の頃、装丁に魅かれて昭和8〜9年に書かれた谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』を読んだことを思い出します。その後10数年してロンドンの古本屋さんで英語版を見つけて再び読んだ時、それまで疑問に感じていた光や影、色彩感覚に対する謎が一気に解けた気がしました。

 古来より生活と自然が一体化していた日本の建築やインテリアは、自然光や月の光、その影を繊細に感じながら造られ、全てのものが配置されていて、自然光が創り出すこの陰翳にこそ「美」がある、といったことが書かれてあったんです。仏像や漆工芸品、蒔絵もそうだし金屏風も一見煌びやかだけど、現代人には薄暗く感じる日本家屋の内にあってこそ、色彩も作品も真の意味で生命を得るのではないでしょうか。レンブラントに代表されるオランダ絵画の陰影にしても、あの国の天候や風土、自然とは切っても切り離せない色彩でしょう?

 例えば、発展途上の暑い国の高級ホテルやレストランの中は冷房がこれでもかというほど効き過ぎているように、昭和の高度経済成長期、日本では豊かさの象徴の一つは照明の「明るさ」だったんだと思います。現在でも家電量販店やドラッグストアに見られるような真っ白な蛍光灯の世界です。ただ、7、80年代に東京で育った自分は、蛍光灯は影を殺しますし、色も殺すのでどこか人工的な気がして、子供の頃から蛍光灯に違和感を感じていました。きっと、陰影にこそ「美」が宿っているのに、ということだったんだと思います。現代の日本の都会では、闇どころか夜さえも無くなり、『陰翳礼讃』でいう空間世界が日常から消え去ってしまったのはとても残念なことです。

 電灯自体は明治時代に西洋から入ってきた文明なのでしょうけど、反対にヨーロッパにいると(時間もゆったり流れているというのもありますが)、暖色系の間接照明が多いので自分にはすごく心地良いです。それはきっと、自然の光と影に近いからで、電気などを一切使わない焚き火や暖炉の火が織りなす色彩に近いからだと思います。

 でも、アイロニーというか面白いのは、昭和初期に谷崎が「欧米の屋内照明は、やたらとランプを多用して悪趣味だ!明るすぎていかん!」というようなことを書いていることです。明治維新以降、急激に西洋化し昭和初期には一般庶民にも普及しはじめた「明る過ぎる」電灯が日本人の美意識を駄目にすると谷崎は憂いています。

 当然ながら、海外の自然光や間接照明では、日本のあの情緒ある色彩や空間はやっぱり創り出せない。それぞれの国や地域、風土に根付いた日常品や美術品があり、それらは土地の光を透して観てこそ美しい。食やお酒も同じです。その土地で採れた食材を使って、そこで食べてこそ美味いと感じられる。湿度や気候に左右されるヴァイオリンなどの弦楽器とも似ています。

 日本人ならではの美意識は現代でも、我々の根底に少なからず残っているんじゃないかと思うんです。というのも、様々な土地を旅していていつも感じるのですが、民族固有の美意識や感性を形作っているのは、太陽の光や気候・風土といった自然環境だからです。だから、どんな日本人にも日本の自然や光が培ったその感覚は潜在的に備わっていて、ちゃんと受け継がれていると日本の若者と話していてもいつも感じます。それはやはり素晴らしいことで、僕も日本で生まれ育ったので、自分の美意識や色彩感覚の原点はやっぱりそこにあると思っています。


日本人にしか感じられない色彩感覚

平井さんの根底にある自然から考える、日本の色とは。

 自然界に見られる色の組み合わせこそ、人間の目に最も自然に映る「色」なのではないでしょうか。日本人の「色」の感覚は、二十四節気(にじゅうしせっき)という暦とも切り離せないものだと思います。季節の微妙な変化に応じて季語があったり、床の間の掛け軸や生花を替える文化は世界でも少ないでしょうから。日本人は、花鳥風月といわれるように風雅の真髄を知っていて、色の濃淡や明暗、色相の段階的変化を楽しむことができました。

 個人的に好きな色というか、日本を考えたときにイメージするのは、新緑の時期に光を通してみる緑のグラデーション。力強い生命の息吹を感じます。それから、秋の紅葉のグラデーション。

 自然の光と影が生み出す色彩は無限であり、一瞬一瞬が奇跡です。赤、緑、黄、茶色でもグラデーションや色調が無限なので、「日本の色」を一色に絞るのは正直難しいですね(笑)

今の日本の色をあえて一色選ぶなら

 日本人の持つ固有の色彩感覚は、太陽光、気候、風土と切り離せません。そして、日本の色は、日本特有の自然に凝縮されています。日本は、国土のほとんどが山で、緑が深く豊かな自然に恵まれた国です。古来、日本人は自然を畏れ崇め、自然と対立するのではなく共生してきました。豊かな自然環境の中で、人間は自然の一部であり、宇宙の一部であることを心と体で感じ、自然の恵みに感謝しながら謙虚に暮らしてきました。

 また、いにしえの日本は海によって世界と繋がっており、天文学の知識を用いて航海したので宇宙をより身近に感じていたはずです。八百万の神々とも交信しつつ、現代よりよっぽど自由に異文化と交流をしていたと思います。日本の海は世界に繋がっており、日本の空は宇宙に繋がっています。

 ですから、山が多い日本の自然を表す深い緑から、海や空を通じてもっともっと自由に世界や宇宙へと広がってほしいという願いを込めて、色チャートのグラデーションのほぼ真ん中に位置するこの色を選びました。

日本の色に感じられるグラデーションについて。

 僕の好きな日本の色は単一色というより、流転や移ろい、偶然性が感じられる色彩のグラデーションです。例えば、藍染に見られる混ざり合った一定でない「藍色」や、太陽光に透かして見たときに煌めく若葉の生命感あふれる「緑」、紅葉の濃淡が感じられる「燕脂(えんじ)」や、備前焼などに偶然現れる窯変による景色などです。縄文土器や焼物の器肌に偶然現れるザラザラした凸凹感も同様に天然の温もりを感じます。小ぎれいで幾何学的に整った既製品やロボットの技術とは対極にある「不完全性」であり「歪(いびつ)なもの」は、日本的な美意識や諸芸術と深く結びついているはずです。
 
 先ほどの『陰翳礼讃』の話にもありますが、昔の日本家屋は自然光を軸に色彩世界が広がっていて、夜にも蝋燭や月の光が生む無限のグラデーションがありました。月明かりも青みがかっていたり、薄い靄がかかったり、刻一刻と色彩は変化していく。自然の色にはすべて階調(グラデーション)があり、影や闇にも繊細なグラデーションとともに「色」があるはずなんです。光があるから闇があり、闇があるから光は映え、星は美しく輝きます。音だって静寂や無音の世界、「間」があるからこそ音の世界が広がる。今の日本で色を考える上で「闇」も大切なキーワードかもしれませんね。社会の闇を知っていればこそ、「幸せ」や「有難み」を感じられるわけです。

 日本文化のもつ「侘び寂び」や「幽玄」といった美意識は、いまだに日本人みな無意識に持ち続けていると思います。色彩感覚もそうですし、現代の文学・音楽・諸芸にもそれが表れているのではないでしょうか。

生活と自然が一体化した田舎暮らしをされていて思うことは?

 人生の35年以上も都会に暮らしましたが、この10年ほどは牛・馬・ひつじ、野生の鹿やウサギがいて天の川も見えるロンドン郊外の田舎に住んでいます。そこで感じるのは、自然の中で暮らすことの重要性で、人間らしさを取り戻せる気がするのです。田舎にいると光と陰、昼と夜をよりコントラストをもって五感で感じることができます。四季の移ろいを繊細にキャッチできます。風の音や小鳥のさえずりを聞き、夜になれば、静寂や闇を感じることができます。「闇があるから星は美しく輝く」、と先ほど言いましたが、満月の夜などその明るさに驚嘆します。J.S.バッハやベートーヴェンは月光の下で楽譜を書いたといわれますが、月の光は思ったよりずっと明るいのです。

 「日本には四季がある」とよく言われますが、砂漠だろうと北極だろうと全世界どこにでも季節の移ろいや色彩の変化は存在します。忙しい大都会で生活していると変化に気づきにくいのですが、心を鎮めて目を閉じれば、どこにいても風の音や香りを感じることができるはずです。田舎に暮らすようになって、特に敏感になりました。

 自然は厳しさと優しさを合わせ持っています。調和がとれているところに美しさがあります。動植物はもちろん、雲にしても波にしも自然界のものは何一つとして同じものはない。だからきっと色も無限なんですよね。これって人間にも同じことが言えると思います。一人として同じ人はいない。まずは、自然に身を置き、自分の目で見て、心で感じることが大切です。

日本人の原点にある美意識をもう一度蘇らせるには?

 人類の歴史を辿ると特に産業革命から20世紀末までは「いかに機械化し、生産性を上げるか」が最大のテーマで「便利=幸福」という図式のもと科学技術が進化を遂げました。AIやロボットはその究極です。ですから、AIやロボットの台頭する21世紀以降は逆に、いかに「人間らしく生きるか」が鍵となってきます。具体的にどうするかというと、簡単なことです。あえて「不便」に身を置き、「手作業」を増やすことで「原始的本能」を呼び覚まし、「感性」を磨くのです。

 時間に追われ閉塞感に包まれた現代社会では、ゆっくり立ち止まって草花を愛でたり、風の音や香りを感じたり、じっくり味わい考えるゆとりがありません。

 「我々は自然の一部でしかない」という謙虚な気持ちを持つことです。人工知能や機械化で効率が上がりどんなに便利な世の中になったとしても、人間は結局、自然には逆ら得ないのです。自然に逆らう生活や行為というのはつまり「不自然」なことであり、宇宙の摂理に反することです。

 だから、1分でも多く自然に身を置き、自然の恵みに感謝し、あらためて自然から学ぶのです。無人島に暮らしたり、山に籠るのは難しいでしょうから、まずは休日に「今日は電気を使わないで暮らす」、「スマホデトックスする」など、不便に身を置き手足を使うことをお勧めします。何かに行き詰った時などは特に、ひらめきや新しいアイディアが浮かぶはずです。DIYやガーデニング、農作業も良いでしょう。自分はいまだに作曲は手書きですし、ピアノもクラシックなので電子ピアノはほとんど使ったことがありません。

 実際、ピアノを弾いている時や、自然の中を歩いてるときにアイディアが閃くことはとても多いんです。手足や身体をよく使うことで硬くなった脳はほぐされ、眠っていた本能や感性が蘇り、心身ともに健康になり・・現代人が抱えている悩みは自然と解決するような気がします。

平井さんにとっての日本の色

「自然のグラデーション」

NOCS 品番 : 5BG−5−e1~5BG−5−11.0

Profile Motoki Hirai

73年、東京生まれ。桐朋高校、慶應義塾大学文学部哲学科(美学美術史学専攻)を経て、99年英王立音楽院大学院ピアノ科卒業。これまで世界70カ国以上を演奏旅行。カーネギーホール(NY)、コンセルトヘボウ(アムステルダム)、コンツェルトハウス(ウィーン)等でしばしばリサイタルを行い、いずれも高い評価を得ている。サー・ジャック・ライオンズ音楽賞受賞。音楽を通じて、内外各地の芸術・文化の普及に努め、平和・教育・医療・環境問題にも積極的に取り組む。3.11以降、50回以上に渡り復興支援コンサートを続ける。作曲家としても活躍し、その作品は世界各地の主要ホールや音楽祭などで演奏されている。07年より国際文化交流プロジェクト「音楽と民話で世界をつなぐ」を芸術監督として主導。BBC、NHKなどテレビ・ラジオ出演多数。スタインウェイ・アーティスト。一般社団法人アーツ・ファンタジア代表理事。96年よりロンドン在住。2018-19シーズンは、英王立マースデンがん基金と協力してオックスフォード、ロンドン、東京にて ”がんと闘う世界の子どもたち” のためのチャリティー公演を行うほか、世界20カ国あまりをツアーする。

www.motoki-hirai.com

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表具師

井上雅博

京都で1957年に創業し、数多くの文化財修復にも携わる京表具井上光雅堂の三代目として、京表具を通して伝統技術の継承や普及を行う井上雅博さん。奈良・平安時代から日本の建築や文化、そして人々の暮らしに密接にかかわってきた表具ですが、建築様式やアーティストの作品も時代とともに変化する今、表具の新境地も生まれているようです。伝統的な手法や道具と現代の要素を融合させる井上さんが今注目する色を教えてくださいました。

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