色が溢れる現代で

表層を取り払って残る、曖昧で不確かな色

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私が思う、今の「日本の色」 vol.011

稲坂良弘

銀座香十前代表、香の語り部、劇作家

稲坂良弘

銀座香十前代表、香の語り部、劇作家

稲坂良弘さんは440年の歴史を持つ香専門企業「香十」の代表を務め、その後香の伝道師として香の歴史を現代に伝えています。日本の文化で“色”と“香”ははるか昔から密接な関係にあると言います。現代人の生活に香を取り入れる取り組みをされている稲坂さんに香りの世界からみる、日本の今の色をお聞きしました。

1000年前の美意識と価値観

演劇の仕事もされている稲坂さんが「香」を仕事にしたきっかけは何でしょうか。

 38年前のアメリカでの出来事が私を香の道に専念させることになったんです。 
 1982年10月に日本の伝統文化である「香道」をアメリカの国連本部で紹介する機会がありました。参加者は400人、90分で目に見えないものを使う芸道の香道を説明しなければならなかったんです。当時、茶道や華道はすでに海外での認知も広まっていましたが、香道はまだまだでした。そこで関係者は試行錯誤した結果、舞台の構成演出が必要だと考え、演劇人でもあった私に白羽の矢が立ち、舞台構成を託されました。香道人ではない私だったからできたのだと思いますが、宗家が実演しているのを英語で実況中継しました。そして客席も巻き込んで、香炉をまわし、「源氏香」(※組香の一つ。五種の香木五包ずつ、計二五包から任意の五包を取り出して炷たき、香の異同を図によって答えるもの。図は五二種あり、源氏物語の巻名(桐壺と夢浮橋は除く)をあてている。)を行いました。耳で聞きながら、舞台を見ながら、自分のところに香炉がまわってきたら嗅覚を働かせる。それがとても好評だったんです。

 その後、主要な大学をまわることになり、コロンビア大学にいたドナルド・キーン先生はじめ、アメリカという地で日本人以上に日本を愛し、日本のことを知っている学者たちに出会い、日本文化の素晴らしさを再認識し、そして香道を世界に広めることの使命感を感じ、演劇人からそのスイッチが切り替わりました。と同時に、“香”の文化を学び直そうと『源氏物語』を原文で徹底的に読み始めました。

源氏物語から読みとれることとは?

 約1000年前に紫式部よって書かれた『源氏物語』を原文で読んでいると、平安時代にあった事実、生活文化を読み取ることができます。また、香についての文脈で読んでいくと、香りの表現だけでその女君の心情がわかってくるのです。それ以外にも伏線だとかそこに隠れている物語が立ち上がってくるんです。平安時代には視覚と嗅覚が一体であり、さらには五感の感覚全体がつながっていたと考えられます。現代の感覚でいうと嗅覚に対応する“匂う”という感覚はその頃は視覚に対応していたのだと思います。とても興味深いのですが、視覚(色)や嗅覚でとらえたものが心の感動につながる、視覚が香りを愛でるということに変わってくるんですね。もう一つ、1000年前の世界の色の名前の付け方も素晴らしいです。例えば“こがるる色”という、思い焦がれる心の表現が色になるんです。“物言わぬ色”はクチナシで染めた黄色で、言葉には出さない想いを込めた色のことです。空蝉と源氏の言葉のないコミュニケーションを表現しています。

 そんな美しい平安王朝の雅な色の表現をもっていた私たちですが、鎌倉時代で武家社会になり、そして明治維新までの700年間で美意識と価値観はがらりと変わってしまいました。

香と色がとても深く関係している時代だったのですね。

 そうなんです。この今日着てきたこの羽織ものも、源氏物語にでてくる「丁子香染」なんです。『源氏物語』に書かれていますが、当時の女性の文化はほとんどが口伝のため考証するための文献が残っていないのですが、ある女性染色家が再現に成功しました。あの錆びた釘の色をした丁子から黄金色が生まれてくるんです。もともとは、丁子の爽やかな香りをつけるために染めたのですが、それを7回繰りうちに美しい黄色になるんです。これは香で染めるということです。香りが色に転じて、色から香りが転じるという美の転換が行われています。まさに香と色が一体となった文化は1000年前にあったということですよね。その時代の日本人の感性では、香をきく、といいます。香りは私の心に何を伝えてくれるのか、私は何を聞き取ったのか、という香りのメッセージです。香を心で聞く、室町時代に芸道になったときに「聞香」になりました。香りを身に纏うというのは香という目に見えないものが存在し、それを纏うというものなんですよ。


目に見えないものの大切さ

武家社会になり美意識や価値観は失ってしまいましたが、現代にもつながっていることはあるのでしょうか。

 平安時代に平仮名がでてき、古今和歌集で紀貫之が平仮名で序文を書いたんですね。平仮名文字が生まれてくる、美の設えであるという独自の世界が生まれました。
 この時代ほど女性が歴史の中に名を残した時代はないですね。紫式部はいるし、清少納言、和泉式部もいる。たくさんの文芸作品、日記、歌が残り、これらは平仮名文字で書かれています。心に想うことを平仮名文字で書くという大変な進化が起こりました。これは女性たちの力ですよね。けれどその後の鎌倉時代から明治維新の樋口一葉が出てくるまで女流作家が生まれないんですよね。それも失ったものの一つでありますね。武家社会から明治維新まで武力の支配国家になっていくわけで、男の時代になってしまいました。その後の高度成長も経済の豊かさを人々は追い求めてしまいました。心の豊かさ、美の価値を失っていくわけです。現代は逆にいい時代なのは、経済の成長も拡大もない時代に入り、物質的な豊かさや経済ではなく、本当の豊かさとは何だろうかと、人々が立ち止まって考えるようになってきている気がするんですよね。平安時代にあった美意識や価値観を参考にする人が増えてきているのではないでしょうか。

振り返って、失ったものを見つめ直す感じでしょうか。香の世界はアップデートはされているのでしょうか。

 香りの文化史は4000年ほどあると言われていて、古来インドを中心軸に置くと、古代インドから東に伝わった香の文化は固形物をあたため、燃やし、くゆらせ、気体として広げるものです。西は、液体としての香の文化です。香が油と結びつき、香油になりますね。中世になって蒸留するという技術ができ、精油となり、アロマテラピーになり、エッセンシャルオイルが生まれます。18世紀以降フランスを頂点にした香りの文化が発展してきました。

 そして明治の文明開化で、現代にもつながるすごいことが起きました。当時、日比谷の鹿鳴館で夜な夜な舞踏会が行われていましたが、そこには西洋の貴婦人と元は大名の奥方だった女性たちが夜会服を着て集っていました。そこで、西洋の香水と東洋の香が出会うんですね。それをきっかけにある日本人の職人が香で西洋の香りを作ることに挑戦し、日本の香りの幅がぐっと広がったと言えます。西洋のフローラルやセクシュアルといったテーマが日本の香にも仲間入りしたんですね。ここで液体で調香したものを固形の香にする技術が生まれたのです。

 日本の香は海外では「インセンス」としてとても人気です。フランスのルームフレグランスブランドの「エステバン」の香りのインセンスを日本で制作しています。なぜインセンスが人気なのか? ルームスプレーにすると空間に霧が広がるだけですが、インセンスの場合にはどこにこれをたてようかと思考し、火をつけて、煙がゆっくり立ち上ってくる、すると香りが漂ってくる、そんなプロセスがあるじゃないか、と。そのプロセス自体が癒しであって、香りに向き合うという良き時間が持てることが大切だと言います。明治に西洋と東洋の香が出会い、今のその技術とマインドが世界中に広まっているのです。

稲坂さんが考える日本の色とは?

 一つの色は選びにくいですね(笑)。
現代は色が溢れていますが、そこに隠れている本当の色は何だろうか、と考えています。『源氏物語』の文脈を読み取るように、深くここまで沈んではいない、でも沈まないとは限らない、明るくなるとも限らない、そんな日本の姿に香とともに向き合っていきたいですね。

 しかし、令和の新時代が始まりました。令和という元号の出典元である『万葉集』の文章に「蘭薫珮後之香(らんくんはいごのこう)」とあるように、万葉集のあの時代の美しき文化が花開くときが来たということなのかもしれませんね。

稲坂さんにとっての日本の色

表層を取り払って残る、曖昧で不確かな色

NOCS 品番 : 2.5BG-0.5-4.0(左)
NOCS 品番 : 2.5BG-0.5-5.0(左から2番目)
NOCS 品番 : 2.5BG-0.5-6.0(左から3番目)
NOCS 品番 : 2.5BG-0.5-7.0(左から4番目)
NOCS 品番 : 2.5BG-0.5-8.0(左から5番目)

Profile Yoshihiro Inasaka

早稲田大学演劇科卒業後、文学座附属演劇研究所を経て、劇・脚本家としてミュージカルから人形劇まで、CMディレクターとして「青雲」など数々のヒット作を生み出す。その後、40代に香文化の専門家に転身。440年の歴史を誇る香専門企業「香十」の代表を務めたのち、和の香の伝道師として様々なメディアで香りの魅力を発信している。

このインタビュイーのご紹介者

日本舞踊家

藤間 貴雅 様

日本舞踊家であり、映画や演劇、テレビドラマの所作指導などを行い、伝統芸能を後世に繋げる藤間貴雅さん。伝統に縛られることなく、2013年からはハワイを皮切りに海外公演を積極的に開催し、日本文化の振興に貢献しています。日本の伝統文化に世界中の注目が集まる昨今、伝統と革新の中で次の時代を模索する藤間さんが考える、今の「日本の色」とは。

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和太鼓奏者、はせみきたさん

和太鼓奏者

はせみきた

幼少期から太鼓に触れ、プロとして活動されて約20年の和太鼓奏者はせみきたさん。世界各地での太鼓の演奏やほかのジャンルのミュージシャンとのコラボレーションに挑む傍ら、太鼓演奏の指導や後世の育成も行っています。富士山の麓に稽古場を設け、日々太鼓に向き合っています。太鼓は日本人ならではの精神性を強く反映し、演奏するための身体の鍛錬が必要な楽器です。日本国内、世界各地を演奏しながらみえてくる、日本の色についてお伺いしました。

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