海外の空気を体感して感じる

生きることへのエネルギーの必要性

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私が思う、今の「日本の色」 vol.12

はせみきた

和太鼓奏者

はせみきた

和太鼓奏者

今回ご登場いただくのは、和太鼓奏者のはせみきたさん。幼少期から太鼓に触れ、プロとして活動されて約20年。世界各地での太鼓の演奏やほかのジャンルのミュージシャンとのコラボレーションに挑む傍ら、太鼓演奏の指導や後世の育成も行っています。富士山の麓に稽古場を設け、日々太鼓に向き合っています。太鼓は日本人ならではの精神性を強く反映し、演奏するための身体の鍛錬が必要な楽器です。日本国内、世界各地を演奏しながらみえてくる、日本の色についてお伺いしました。

常に身近にあった太鼓

太鼓に出会ったきっかけはなんですか?

 小学校3年生、8歳くらいのときは北海道に住んでいて、夏祭りの盆踊りの太鼓をやる子ども会の行事がありまして、本来は5、6年生じゃないと入れなかったのを兄が入っていたので無理矢理まぜてもらってやったのが最初ですね。その時は、夏の期間限定の行事でしたが、そこで太鼓を打って、楽しいな、気持ちいいな、と感じたんです。その後静岡県に引っ越して、子どもだけの太鼓のグループがあったのでそこに入りました。

師匠・林英哲さんとの出会いは?

 高校2年生の時だと思いますが、師匠の本と舞台作品に触れ、ものすごく感銘を受けたんですね。そこから太鼓に本格的にのめり込んでいきました。
 プロの太鼓演奏集団というのは既にいくつかあったので観に行ったりもしていましたが、当時の僕は非常に生意気でして(笑)、「あれはできる」と思っていたんですよ。しかし、師匠の舞台を観た瞬間に「これは今の自分にはできない」と。遥かかなたの技量、芸術性だったんですよね。舞台の上で太鼓を打つ上での精神性の太い柱というか、哲学的な考え方があって、今まで出会った太鼓の人と全く違うということを感じました。本を読んだ直後に出版社に手紙を書いたら、師匠が会ってくださって、いろいろお話を聞き、太鼓の指導をしていただき、そこから太鼓奏者として目指す姿が具体的に見えた気がします。でも当時は学校の先生になりたいと思っていたので、静岡大学の教育学部に進み、寮で出会った仲間たちと何かやろうということになり、和太鼓サークル「龍韻太鼓」を創立しました。

2000年にプロ活動を始められましたが、どのような活動をされていらっしゃいますか?

 国内外で演奏をしていますが、最近では僕も含め多くの太鼓奏者が世界各地に演奏しに行っています。太鼓の演奏というのは飽きられるということはないと思います。僕はこれまでに30か国くらいで演奏していますが、国ごとに反応が違いますね。僕の舞台は、過度にショーアップしてない伝統的な打ち方や所作を大切にしている分、ほかの奏者に比べると、わかりやすいエンターテインメント要素は少ないかもしれません。その代わり一打一打の音色、一挙手一投足に込める表現の幅広さ深さを追究している点では、誰にも負けない自負があります。ショーアップした作品はやはりアメリカですごく受けますよね。僕らのような演奏スタイルはヨーロッパの人のほうが興味をもってくれます。アフリカはまた全然違っていて、リズムがあることが重要で、どんなリズムでも盛り上がってくれる。演出でぐっと音を抑えると会場がざわつく(笑)、音が大きくなるとまた盛り上がる感じですね。
 演奏以外にも北米を中心に、オーストラリアやカナダに指導に行っています。最近ではヨーロッパの人たちの太鼓チームも出てきていますし、太鼓の注目は世界的に高まっている気がしますね。
 世界中に打楽器はたくさんありますが、メロディーを奏でる楽器とともに演奏することで成立するものがほとんどで、2時間のショーをその楽器だけでやれる打楽器は太鼓以外ないと思います。音だけじゃない、視覚的な要素もある。世界一革が厚くて、世界一大きい音が出ると言われている日本の太鼓をしっかり”鳴らす“にはそれなりのパワーが必要ですし、打つ姿だったり様式美も重要で、マーシャルアーツ的なとらえ方もできる、本当に特殊な楽器ですね。

日本人と太鼓の関係性

では太鼓の注目は高まり続けているということでしょうか。

 日本人にとっては、太鼓は“身近にある音”なんですよね。太鼓は元々素人芸で、太鼓で飯を食べられる人なんて50年、60年前まではほぼ存在しなかった。だからお祭りやイベントで太鼓の演奏を聴くということはあるけれど、「お金を払って太鼓の演奏を観に行く」、「レッスン料を払って太鼓を習う」という新しい文化は逆になかなか浸透しないというのが現状です。地域ごとにたくさんある同好会などと、自分たちがやっているプロとしての表現との線引きが曖昧だったりするという課題もあるんですが、それは僕も含めプロとしてやってる人間がどれくらいスキルをあげられるかということでもあるので、もっと精進していきたいなと思っています。

日本人の暮らしに密接にかかわる太鼓ですが、これは伝統芸なのでしょうか?

 僕がやっている太鼓は、何百年という歴史をもった伝統芸では「ありません」。伝統的な奏法や意匠などを取り入れている部分はありますが、作品はあくまでオリジナル、自分が伝統を受け継いでいくという感覚はないですね。ですが、太鼓の音は日本人の生活の中に面々とあるもので、時を知らせる太鼓であったり、合図だったり、神事やお祭りのなかの神様とつながる音だったりそういう形でずっと日本人が生活の中でどこかで聞いてきた音だと思うので、自分が作品を作る中でも、日本人としての太鼓に対しての思いは忘れないでいたい部分だと思っています。

今後挑戦したいことはありますか?

 伝統を背負っている感覚はないので(笑)、これまでもいろいろとフットワーク軽くトライしてきました。ちょうど昨日はアルゼンチンタンゴのバイオリン奏者とコラボレーションしました。僕の場合、相性の良い楽器を選ぶことより、「この人とやりたい」という感覚をすごく大切にしていて、「どうしたら一緒にやれるだろうか」を常に考えています。極めて音が大きく、個性の強い楽器なので、共演するには様々な苦労も伴いますが、経験を積んできたことが次に活きている気がしますね。相手の情感にうまく溶け合うような演奏の仕方が少しずつ分かってきてるんじゃないかなと感じています。
 もう一ついま興味があるのが、“声の力”です。木遣り(きやり)、声明(しょうみょう)のような、大人数の声から生まれるパワーはものすごい。荘厳なエネルギーが渦巻く中で、一人で大太鼓を打ちまくったら、絶対カッコいい(笑)。

太鼓で表現する“日本らしさ”とはどういうことでしょうか?

 自分が太鼓の曲を作ったり、演出を考えるときにいつも心に置いているのは、「日本らしさって何だろう?」ということです。演奏してる時、演奏してない時の立ち居振る舞いだったり、音楽的に言えば、間を大切にするとかそういうことをいつも考えながら新しいものを作るようには心がけてますね。どこの部分に日本を保つか、ということ。これは自分の中でも葛藤でもあります。「クールジャパン」という言葉をよく耳にしますが、師匠のフランスでの公演を観て、ある人が「クールジャパンじゃないね。ディープジャパンでリアルジャパンですよね」と言ったんです。自分もそれを目指していきたいし、新しいものは作っているけど、新しい解釈で日本をより掘り下げてみたいなと思っているんですよね。

はせさんが考える「日本の色」とは?

 日の丸弁当の色なんですよね。米のクリーム色と梅干の赤です。それはなぜかと言うと、
海外に公演を行って日本に帰ってくると、日本人の生きるモチベーションやエネルギーが低いなと感じるんですよね。アフリカに行ってもどこに行っても、生きるためのエネルギーみたいなものが迸ってますからね。日本のそんな希薄な感じがクリーム色かなと。そんな状況に対して、とことんいろんなことを考えて、エネルギーを発していこうよ!ということで、そのパッションを示す赤です。なので、合わせて日の丸弁当になるなと思ったんです。これはある意味自分への戒めでもあるので、常に考えながら、挑戦しながら、パッションをもって太鼓に取り組んでいきたいと思っています。2時間ひとりで打ち続ける体力も持ち続けなきゃいけないですしね。

はせさんにとっての日本の色

生きることへのエネルギーの必要性

NOCS 品番 : 5Y-2-1(左)
NOCS 品番 : 6.25R 9-3(左から2番目)

Profile Mikita Hase

静岡県出身。幼少より和太鼓に親しみ、静岡大学教育学部卒業。太鼓奏者の第一人者・林英哲に師事し、同師の下数々の大舞台で太鼓ソリストとしての研鑽を積む。1998年よりプロ奏者としての活動をスタートし、2000年に太鼓ユニット「ようそろ」を結成。解散までの16年間、舞台の構成・演出を手掛ける。2011~13年には、東京にて 初のソロ公演。かりん(25絃箏・うた)と「日本の音とうた」を届ける国内ツアー。国際交流基金派遣事業として 南米ツアー。阿部サダヲ主演の舞台「八犬伝」に太鼓奏者として出演。そのほか、太鼓チームの指導や楽曲提供、学校公演、ワークショップなども手がけ、大蔵基誠(狂 言師)、上妻宏光(三味線プレイヤー)、林正樹(ジャズピアノ)、市瀬秀和(俳優・剣技)などジャンルを超えたアーティストとの交流も多い。国内外で幅広い演奏活動を展開している。

このインタビュイーのご紹介者

二十五絃筝者、シンガーソングライター ドイツ在住

中川 果林 様

二十五本の絃で音色を奏でる、二十五絃筝を巧みに操る中川果林さん。音楽一家に育ったものの、音楽がどうしても好きになれなかった彼女が出会い、自分の表現媒体として選んだのがお琴、そして唄でした。古典的なイメージをもつこの楽器を片手に世界に飛び出し、たくさんの人と交流を重ねて見えてきた”自分”とルーツである”日本”。彼女が音楽を通して、日本のいろについて語ってくれました。

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シェフ、松嶋啓介さん

シェフ

松嶋啓介

20歳で渡仏し、25歳の誕生日に南仏ニースで独立したオーナーシェフ、松嶋啓介さん。外国人として最年少でフランス・ミシュランの星を獲得し、現在はフランスと日本のレストラン「KEISUKE MATSUSHIMA」を行き来しながら、食をベースに幅広く活躍しています。双方の文化を俯瞰する松嶋さんの目に映る「日本の色」とは。飽食の時代だからこそ見落としがちな、真の意味での食の豊かさとともに語っていただきました。

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