自然界にヒントはある

日本の四季の移ろいを表現する色のグラデーション

Archive

私が思う、今の「日本の色」 vol.14

細田絵奈子

理学博士

細田絵奈子

理学博士

棘皮動物であるイトマキヒトデの研究を専門とする理学博士の細田絵奈子さん。映像の世界から生物の「分子」の研究に飛び込んだ経歴の持ち主です。日々、顕微鏡で見つめる生物と「色」の関係性とは?私たちの知らない生物の世界から見えてくる、今の「日本の色」について語ってくださいました。

“眼にみえないもの”をみつめる

専門は分子生物学だそうですが、なぜその研究を?

 研究対象は、細胞よりももっともっと小さな「分子」です。細胞の中には、たくさんのタンパク質が詰まっていて、それらが細胞骨格やDNAなどに作用することで、いろいろな生命現象を制御しています。私は、イトマキヒトデを使って、卵成熟や細胞周期のメカニズムを、分子レベルで研究しています。
 生物には子どもの頃から強い興味を持っていたのですが、大学は文系で、卒業後はCM制作会社でプロダクションマネージャーをやっていました。CM制作にかかわるスタッフの60人から100人くらいをまとめて、撮影から編集までのクオリティー管理をする、テレビで言えばADの役割です。その後にクリエーティブ全体の質を高めるために、イメージの共有や企画演出のアイディア出しのサポートをするコーディネート部門を立ち上げました。

 生物とは無縁の世界で、忙しいながらも充実した社会人生活を送っていたのですが、そのさなかに、母が亡くなりました。その最期を看取った時、心臓が止まった瞬間はまだ末端の細胞が生きているように感じたんです。時間が経つにつれ、中心からさーっと、末端に伝播するように細胞が死んでいく。まるで、細胞同士が連絡しあってるみたいなんですね。その様子を目の当たりにして、全ての細胞が正常に働いて生きているということは大変なことなんだと実感したんです。これがきっかけになって、やっぱり生物の世界はすごい、「生きている」仕組みの研究をしたいという思いが強くなりました。その後、2009年に飯塚文枝さんが調査中だったパナマに発掘のお手伝いに行ったんですが、そこで人類学研究に没頭している彼女の姿にインスパイアされたこともあって、2011年に退職して大学に編入、そのまま博士課程に進んで研究をつづけてきました。

顕微鏡の中では、どんな色が見えているのでしょうか?

 細胞のレベルで生物をみると、細胞はほとんど透明なんですよ。イトマキヒトデ卵は、一見黄色をしていますが、これは卵黄顆粒という栄養があるからです。栄養素がなければ、細胞は透明です。
 ヒトデの卵母細胞は、ホルモンに刺激されると、劇的にタンパク質の働きが活性化し、それまで停止していた細胞分裂が再開します。そして、受精可能な成熟卵になります。この現象の仕組みを解明すれば、哺乳類などの他の生物の受精のメカニズムへの理解も深まると考えています。
 このように、目に見えない細胞を観察するためには、蛍光標識というのですが、微小管やアクチンなどの細胞骨格やDNAを蛍光物質や蛍光タンパク質で着色し、可視化する方法を使っています。つまり、色がないものを調べるために、蛍光標識という色の力を借りているわけです。

細胞には色がないのに、私たちが見ている自然界には、様々な色があふれていますね?

 顕微鏡の中ではなく人間の目のレベルで見れば、生物には様々な色がありますよね。動植物自体が持つ色はもちろんですが、生存戦略に色を使っている動植物もたくさん存在します。
 昆虫や動物が周囲の環境に溶け込むために擬態することはよく知られています。攻撃や防御に有利だからです。メスの気をひくために繁殖期のオスの体色が普段と違って派手になる婚姻色や、毒を持っていることを知らせるための警戒色というものもあります。
 また、昆虫の体色は、寒いほど黒に近づくという研究もあります。寒いところで体温を保つには、太陽熱を効率よく吸収する必要があるからです。食べもので、結果的に体色が決まる種もあります。フラミンゴはピンク色ですが、あれはフラミンゴが主食にしている藻類・スピルリナがカンタキサンチンやβカロチンという色素を含んでいるからです。
 つまり、自然界にある色は、様々な要因が絡まり合って決まっているのです。
 ちなみに、私が研究しているイトマキヒトデは、同じ種でも関東は青っぽい色、九州は緑っぽい色をしているのですが、なぜそのような色の差があるのかはまだ分かっていません。


色は、言葉と文化が決める

そもそも、私たちはどうやって色を認識しているのでしょうか。

 色は、眼の細胞がモノに反射した光の波長を受け取ることで感知できます。
 しかし、そこにリンゴがあったとしても、その色の持つ波長が「赤である」という認知は、視力だけではできません。送られた視覚情報を、脳がそれまでに学習してきた「色の情報」と照らし合わせて判断し、「赤色」と判断するのです。つまり、名前のない色は、認知できないのと一緒なのです。
 ですから、もし「日本の固有の色」というものがあるとしたら、その色は日本にただ存在するだけでは意味を持ちません。日本に住む人々の脳、つまりその言葉と文化が、その色を、自分たちがもっている「日本に存在する色の情報」と結び付けて名づけ、そこで初めて「日本の固有の色」である、となるのではないかと思います。

日本の生物は、やはり「日本の色」をしているのでしょうか?

 「日本には独自の生物の色がある」ということは、断言はできないと思います。
 けれども、日本が温帯に位置し、モンスーン気候(温暖湿潤気候)ではっきりした四季を持っていることは、「日本の色」の成り立ちに大きく影響していると思います。たとえば熱帯では、一年中暖かいので、いろいろな植物が花や実をつけています。でも四季があると、実りの季節が限定されます。さらに、冬に気温が低くなることで、熱帯に比べると植物の種類が少なくなりますよね。しかも、四季の移ろいのなかで、植物は成長・成熟・結実・枯死と、状況が刻々と変わっていきます。
 このような環境で生活していた日本の古代の人々は、植物の色を注意深く観察して、生活に活かしたのではないでしょうか。例えば、「この木の葉がこんな色になったら冬の支度をする」「この実は、これくらいの色になったらおいしく食べられる」など。つまり、日本の環境に適応して生き残ってきたのは、そういう色の変化に敏感だった集団だったのではないかと思うのです。
 やがて、古代的な生活から複合文化が発達し、本州の低地で奈良や平安の文化が開花します。貴族文化の中では、和歌などを通して「四季の移ろいに敏感であること」が、一種のステータスとなったのではないでしょうか。平安の文学は、四季折々の動植物の様子を細かく観察し、文学の中で、四季の移ろいを細分化して表現しています。平安装束の十二単でも、植物由来の色名がとても繊細に使われていますよね。

細田さんにとっての「日本の色」はどんな色ですか。

 やはり、今も昔も変わらない、日本の四季の移ろいを表現する色のグラデーションだと思います。具体的にいうと、冬の薄墨、春の桜色、夏の萌黄、秋はイロハモミジの紅色の間のグラデーションです。さらに日本の高い湿度はそこにスモーキーな効果を与えるので、彩度は低めですね。
 科学の世界では、西欧文化の影響で、理論的にシロ・クロをはっきりつけることが推奨されてきました。しかし、近年の技術革新により、シロ・クロだけでは説明できないことが増えています。そのシロとクロの間のグラデーションをそのまま受け止めて、認識、観察する視座が求められるようになっています。特に、生命科学の分野では、ひとつの刺激に対して様々な反応が起こるケースが多くあります。そのような反応を敏感に受け取り、細かく分けて分析することで、真実に一歩近づけるのです。
 日本では、その多彩な色のグラデーションを感じとることができる観察眼を、古来より四季の移ろいの色の文化に鍛えられてきた、といえるのではないでしょうか。そこから生まれるユニークな発想が、研究の世界はもちろん国際社会の中においても、今後必要になっていくような気がします。その土台となる豊かな日本の自然と文化、そしてその中にある様々な色を大切にすることが、ますます重要になってくると思います。

細田さんにとっての日本の色

日本の四季の移ろいを表現する色のグラデーション

NOCS 品番 : 7.5YR 0.5-3.0(左:冬)
NOCS 品番 : 1.25R 2-1.0(左から2番目:春)
NOCS 品番 : 7.5GY 7-1.0(左から3番目:夏)
NOCS 品番 : 6.25R 8-3.0(左から4番目:秋)

Profile Enako Hosoda

立教大学史学科地理学コース卒業後、CM制作会社にてプロダクションマネージャー、クリエーティブコーディネート部門立ち上げを経て退社。2012年、お茶の水女子大学理学部生物学科3年次社会人編入制度により入学。棘皮動物であるイトマキヒトデの卵成熟や細胞周期の機構を分子レベルで解析している。16年、博士前期課程修了。19年に博士後期課程修了し、理学博士に。

このインタビュイーのご紹介者

考古学者、アメリカ・カリフォルニア在住

飯塚 文枝 様

美術系の高校、大学を経て、アメリカの大学にて人類学を専攻。そこから考古学一筋で世界中を飛び回る飯塚文枝さん。古代の人々が遺した土器から、当時の暮らしや社会や環境に思いを馳せ、そしてさまざまな発見を見出しています。私たち日本人は何を大切にし、どのように生きてきたのか、そしてこれから生きていくべきなのか、その答えのヒントは過去の人が遺してくれたモノにあるようです。

この記事を読む

Other Archive

お米農家「やまざき」さんの日本の色

米農家

お米農家 やまざき

茨城県南西部、筑波山の麓に位置する肥沃な土壌でお米づくりをしている、「お米農家やまざき」の山﨑宏さん・瑞弥さんご夫婦。農薬や化学肥料に頼らず、手塩にかけて「ひなたの粒」という名のコシヒカリを栽培しています。2015年9 月の記録的豪雨で鬼怒川が決壊したときは、収穫最中の田んぼが浸水被害を受け、一時は再生が危ぶまれたことも。自然災害を乗り越え、日本人の食生活に欠かせないお米を作り続ける思いを、その過程で出会う4つの印象的な色とともに、妻の瑞弥さんが語ってくれました。

この記事を読む

一覧に戻る